マインド雑記

親鸞と中村天風に学ぶ「他力」と「自力」|委ねながら、自分の足で歩く

マインド

最近、親鸞の教えと中村天風の哲学について考えていました。

どちらにも共通していると感じたのは、「自分だけの力で、すべてを何とかしようとしなくていい」という感覚です。

僕たちはつい、

  • もっと頑張らなきゃ
  • もっと成長しなきゃ
  • ちゃんとした人間にならなきゃ
  • 自分の力で結果を出さなきゃ

と思ってしまいます。

もちろん、努力することは大切です。

でも、努力すればすべて思い通りになるかというと、そうではありません。

人生には、自分ではどうにもならないことがたくさんあります。

  • 出会い
  • タイミング
  • 環境
  • 体調
  • 人の気持ち
  • 運の流れ

どれだけ考えても、どれだけ頑張っても、自分一人の力では動かせないものがある。

それを認めることは、あきらめではなく、むしろ人生を軽くする智慧なのかもしれません。

弱さを認めるところから始まる

親鸞の教えに触れて、僕が特に印象に残ったのは、人間はそんなに立派な存在ではないという見方です。

怒ることもある。
迷うこともある。
欲が出ることもある。
人と比べて落ち込むこともある。

それが人間なのだと思います。

でも、現代はどこかで、常に「理想の自分」にならなければいけないような空気があります。

もっと前向きに。
もっと強く。
もっと有能に。
もっと魅力的に。

そうやって自分を高めようとすること自体は悪くありません。

でも、その奥に「今の自分ではダメだ」という思いが強くなりすぎると、だんだん苦しくなってしまいます。

弱い自分。
迷っている自分。
まだ整っていない自分。

そういう自分を否定するのではなく、まずはそのまま見つめてみる。

そこから、本当の意味での安心が始まるのかもしれません。

他力とは、人任せではなく「委ねる力」

親鸞の教えでよく知られている言葉に、「他力本願」があります。

今では「人任せ」という意味で使われることもありますが、僕はこの言葉を、もう少し深く受け取りたいと思っています。

他力とは、何もしないことではなく、自分の力だけで人生を支配しようとする思いをゆるめることなのではないでしょうか。

やることはやる。
でも、結果までは握りしめない。

そんな姿勢です。

自分にできることを丁寧にやる。

でも、その先に起こることは、大きな流れに委ねる。

そう考えると、他力本願は「サボること」ではなく、頑張りすぎて固くなった心をほどくための智慧のように感じます。

天風哲学から感じた、大きな流れへの信頼

中村天風の哲学にも、似た感覚があります。

人間は、自分の意志だけで生きているわけではありません。

心臓は、こちらが命令しなくても動いています。
呼吸も、眠っている間に続いています。
食べたものは、自然と身体の一部になっていきます。

太陽があり、水があり、空気があり、大地があり、誰かの働きがあって、今の自分が生きている。

そう考えると、僕たちは「自分で生きている」と思っていても、その前に、すでに大きなものに支えられているのだと思います。

ただ、天風哲学のおもしろいところは、そこで終わらないところです。

大きな力に支えられていることを感じたうえで、今度は自分の命をどう使うかを大切にする。

委ねるだけではなく、自分の足で一歩を踏み出す。

僕はそこに、「生かされて、生きる」という感覚を見ています。

静寂を聞く時間

では、その感覚をどうすれば思い出せるのか。

僕は、静寂を聞く時間が大切だと思っています。

スマホを置く。
情報から少し離れる。
呼吸を感じる。
身体の感覚に戻る。
自然の中を歩く。

そうしていると、頭の中でぐるぐる回っていた考えが、少しずつ静まっていきます。

とはいえ、静寂は簡単ではありません。

何もしない時間には、不安や寂しさ、退屈さが浮かび上がってくることもあります。

だから、いきなり部屋でじっと瞑想するのが難しい人は、自然の中で過ごすところから始めるのがいいのかもしれません。

自然の中にある静けさ

森を歩く。
風を感じる。
木々の揺れを見る。
鳥の声を聞く。
土の匂いを感じる。

自然の中にいると、不思議と「何もしないこと」が少し楽になります。

頭で考えようとしなくても、身体のほうから少しずつ落ち着いてくる。

そのとき、ふと感じることがあります。

ああ、自分は一人で頑張っているわけではなかったんだな。

静寂は、音がない場所にだけあるものではありません。

森のざわめきの中にも、風の音の中にも、呼吸の中にも、静けさはあるのだと思います。

委ねながら、一歩踏み出す

親鸞の教えからは、自分の弱さを認める安心を感じます。

中村天風の哲学からは、大きなものに支えられながらも、自分の命を前向きに使う力を感じます。

この二つを重ねると、今の僕にはこう聞こえます。

無理に立派にならなくていい。
弱さを抱えたままでいい。
でも、自分の人生をあきらめなくていい。
大きな流れに支えられながら、今日できる一歩を踏み出せばいい。

自力だけで頑張ると、苦しくなる。

でも、委ねるだけでは、人生は動き出さない。

だからこそ、委ねながら、自分の足で歩く。

自分という重い荷物を少し下ろして、今日できることをひとつやってみる。

それくらいの力加減で、生きていけたらいいなと思います😊


まとめ

  • 人は、自分の力だけですべてをコントロールできるわけではない
  • 弱さを認めることは、あきらめではなく安心の入り口になる
  • 他力とは、人任せではなく、大きな流れに委ねる力
  • 委ねたうえで、自分にできる一歩を踏み出すことが大切
  • 瞑想や自然の中の静けさは、その感覚を思い出すきっかけになる

頑張りすぎているときほど、少しだけ立ち止まってみる。

静けさの中で、自分が大きな流れに支えられていることを思い出す。

そしてまた、自分のペースで一歩踏み出せばいいのだと思います。

なしお

"なしお"という名前は、このブログを作る時に命名しました。命名の由来は、「スキルなし、経験なし、人脈なし、学歴なし、コミ力なし」ということで"なしお"です。当時の僕には、何もないと思ってたので、"なしお"という名前を自分に命名しました。
そして、"ない"を、"ある"に変えていく・気づいていくための、"なしお"の奮闘をこのブログに記していきます。その中で、他の誰かに、お役に立つ情報が少しでもあれば幸いです。

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